| 都道府県コード又は市区町村コード | NO | 都道府県名 | 市区町村名 | 名称 | 名称_カナ | 名称_通称 | 名称_英語 | 文化財分類 | 種類 | 場所名称 | 住所 | 方書 | 緯度 | 経度 | 電話番号 | 内線番号 | 員数(数) | 員数(単位) | 法人番号 | 所有者等 | 文化財指定日 | 利用可能曜日 | 開始時間 | 終了時間 | 利用可能日時特記事項 | 画像 | 画像_ライセンス | 概要 | 概要_英語 | 説明 | 説明_英語 | URL | 備考 |
| 22101 | 502000001 | 青森県 | 平川市 | 盛美園 | セイビエン | 名勝 | 建造物 | 盛美園 | 青森県平川市猿賀石林1 | 40.616351 | 140.56992 | (0172)57-2020 | 1 | 個人 | 1953/3/31 | 月火水木金土日 | 9:00 | 17:00 | 12/29から1/3までを除く。10月から11月中旬までは16:30閉園、11月中旬から4月中旬は10:00〜15:00まで。冬季営業期間の受付は、隣接するもてなしロマン館となります。※2022年11月25日から2023年4月上旬まで閉園。 | 清藤家第24代盛美が大石武学流4代宗匠小幡亭樹を招き、明治35年(1902)から9年間をかけて完成した名園である。盛美館の北側に南北に長く設けられ、観賞式と廻遊式を兼ねた池泉庭であるが、梵珠山を望む借景の庭でもある。建物寄り平坦部(枯山水部)には、正面に礼拝石を据えて大型の飛石を打ち、左に蹲踞、右に二神前を組んで飛石で結んでおり、大石武学流の定型が見られる。平坦部の奥は一段低い平地、更に一段さがって凹字型の池がある。池中の中島、奥の築山は土橋、石橋で結び廻遊できるようになっている。 | http://seibien.jp/ | ||||||||||||
| 22101 | 502000002 | 青森県 | 平川市 | 清藤氏書院庭園 | セイトウシショインテイエン | 名勝 | 建造物 | 清藤氏書院庭園 | 青森県平川市猿賀石林1-6 | 40.615964 | 140.569929 | (0172)57-2127 | 1 | 個人 | 1979/8/7 | 月火水木金土日 | 9:00 | 17:00 | 事前連絡が必要です。休業日は不定。 | 建物の南側、公道との間にある東西の細長い鑑賞式枯山水庭で、東南隅に枯滝石組を組んでおり水落ちが2筋に分かれるしくみとなっている。石組はさほど高くないが迫力があり庭の主景をなしている。また、枯池の岸は、低い平石組をめぐらしており、江戸末期ごろの作庭とみられる。また蹲踞は西側に移され、礼拝石や飛石は、後に改修されたが、大石武学流定型化の先駆を成す庭として名高い。 | |||||||||||||
| 22101 | 502000003 | 青森県 | 平川市 | 土蔵 | ドゾウ | 登録有形文化財 | 建造物 | 青森県平川市金屋 | 39 | 棟 | 個人 | 金屋地区の39棟が登録されている。農家蔵であり鏝絵など装飾性豊かなものが多い。 | |||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000004 | 青森県 | 平川市 | 津軽の七日堂祭 | ツガルノナノカドウマツリ | 記録作成等の措置を講ずべき無形文化財;県無形民俗文化財 | その他 | 猿賀神社 | 青森県平川市猿賀石林175 | 40.61663 | 140.562944 | (0172)57-2016 | 猿賀神社猿賀町会氏子 | 2022/4/13 | 農作物の作柄や天候を占なう行事で、旧暦1月7日に猿賀神社と岩木山神社(弘前市)、旧暦1月29日に鬼神社(弘前市)で行われる。 | https://ss701927.stars.ne.jp/ | 2009-03-11(国選択) | ||||||||||||||||
| 22101 | 502000005 | 青森県 | 平川市 | 八幡崎遺跡 | ヤワタザキイセキ | 記念物(県史跡) | 建造物 | 八幡崎遺跡 | 青森県平川市八幡崎宮本143-2 | 40.617525 | 140.53515 | 個人 | 1969/12/15 | 縄文時代晩期の低湿地・泥炭層遺跡。大洞B式〜同C1式土器、石器、石製品、土製品をはじめ、藍胎漆器、木製椀、丹漆塗腕輪、同櫛並びにカヅノ木の根が発掘され、更にその繊維で編んだアンペラ(敷物)が出土し、また炭化米・堅果種子・樹皮・哺乳類骨も発見されている。 | |||||||||||||||||||
| 22101 | 502000006 | 青森県 | 平川市 | 猿賀神社本殿 | サルカジンジャホンデン | 県重宝(建造物) | 建造物 | 猿賀神社 | 青森県平川市猿賀石林175 | 40.61663 | 140.562944 | (0172)57-2016 | 猿賀神社 | 1994/4/25 | 月火水木金土日 | 参拝は終日可能 | 素木造りの簡素な社殿であるが、その規模は大きく、梁間3間の流造りという形であり、形式的にも極めて珍しいものである。近世においては、拝殿のような空間も含まれていたと考えられるが、一般的な形式である「前室付き流造り」とはなっておらず、県内の近世神社建築を考える上で欠くことができない建造物である。 | https://ss701927.stars.ne.jp/ | |||||||||||||||
| 22101 | 502000007 | 青森県 | 平川市 | 八幡崎獅子(熊)踊 | ヤワタザキシシ(クマ)オドリ | 県無形民俗文化財 | 芸能 | 八幡崎郷土芸能保存会 | 1961/1/14 | 踊り手は牡獅子2(うち中獅子1)、雌獅子1、可笑獅子1からなり、演目は参進の踊り、宮褒めの踊り、庭褒めの踊り、橋褒めの踊り、山褒めの踊りなどがあり、古式にのっとり柳の山、莚の橋を用いることを実行している。 | |||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000008 | 青森県 | 平川市 | 鰐口 | ワニグチ | 県重宝(工芸品) | 美術工芸品 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 40.568184 | 140.614947 | 1 | 個 | 広船神社 | 1956/5/14 | 昭和31年5月14日県文化財(工芸品)指定。正長2年(1429)の銘があり、市内最古の鋳造物のひとつである。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000009 | 青森県 | 平川市 | 菩薩坐像 | ボサツザゾウ | 県重宝(彫刻) | 美術工芸品 | 沖館神明宮 | 青森県平川市沖館宮崎266-3 | 40.568412 | 140.585008 | 1 | 体 | 沖館神明宮 | 1968/4/5 | 昭和43年4月5日県文化財(彫刻)指定。美濃の国の僧「円空」の作品である。奉納年代のはっきりしている仏像。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000010 | 青森県 | 平川市 | 尾崎獅子踊 | オサキシシオドリ | 県無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市尾崎 | 尾崎獅子踊保存会 | 1961/1/14 | 昭和36年1月14日県(無形民俗)文化財指定。農耕儀礼がよく残されており、代表的な熊獅子踊である。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000011 | 青森県 | 平川市 | 広船獅子(熊)踊 | ヒロフネシシ(クマ)オドリ | 県無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市広船 | 広船獅子踊保存会 | 1981/6/23 | 昭和56年6月23日県(無形民俗)文化財指定。伝播経路のはっきりしている獅子踊で、津軽熊獅子踊の発祥といわれている。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000012 | 青森県 | 平川市 | 古懸獅子(熊)踊 | コガケシシ(クマ)オドリ | 県無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市碇ヶ関古懸 | 古懸獅子舞保存会 | 1961/1/4 | 元和4年(1618)の獅子舞伝授巻物が秘蔵され、25種の踊りの基本が書かれており、10種以上を現在も伝えているという。古懸不動尊がこの地に移された頃には伝承されていたとされる。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000013 | 青森県 | 平川市 | 板碑 | イタビ | 県重宝(歴史資料) | その他 | 青森県平川市岩館長田 | 4 | 基 | 個人 | 2006/1/1 | 嘉暦2年(1327)・4年(1329)、貞和2年(1346)の年号が確認されている。鎌倉時代から南北朝時代にかけての曽我氏の供養碑で、中世の遺物として貴重なものである。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000014 | 青森県 | 平川市 | 薬師如来 | ヤクシニョライ | 市指定有形文化財 | 美術工芸品 | 大坊熊野神社 | 青森県平川市大坊 | 40.572686 | 140.544571 | 1 | 体 | 大坊熊野神社 | 2006/1/1 | 神仏習合の信仰より生まれた懸仏である。室町時代のものと思われる。市内では唯一のものである。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000015 | 青森県 | 平川市 | 井沢遺跡出土品 | イザワイセキシュツドヒン | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 括 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 井沢遺跡からは弥生時代の籾痕土器や管玉等が出土し、考古学上貴重なものである。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000016 | 青森県 | 平川市 | 大光寺獅子踊 | ダイコウジシシオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市大光寺 | 大光寺獅子踊保存会 | 2006/1/1 | 田遊び系獅子踊で大神楽等を踊り、古式な豊作祈願の踊りをよく伝承している。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000017 | 青森県 | 平川市 | 石郷獅子舞 | イシゴウシシマイ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市石郷 | 石郷獅子舞保存会 | 2006/1/1 | 古い巻物を保存し獅子舞の発祥の地と言われ、舞の形体が残され優雅な舞が伝承されている。伝説も残っている。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000018 | 青森県 | 平川市 | 新屋獅子踊 | アラヤシシオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市新屋 | 新屋獅子踊保存会 | 2006/1/1 | 獅子納め、獅子起こしの儀式が特異な形式で残されている。踊りも衣裳も特異である。伝説も残っている。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000019 | 青森県 | 平川市 | 柏木町荒馬踊 | カシワギマチアラマオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市柏木町 | 柏木町荒馬踊保存会 | 2006/1/1 | 「サナブリ」「虫送り」が芸能化されたもので、「田楽」の流れを汲む儀礼的芸能である。荒馬は神馬であり山の神信仰と関わり豊作祈願の踊り。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000020 | 青森県 | 平川市 | 松明流し | タイマツナガシ | 市指定無形民俗文化財 | その他 | 青森県平川市岩館 | 岩館町会 | 2006/1/1 | 天明年間・天保年間の凶作の際の餓死者の霊を弔う為に始められたものとされ、県内唯一の奇習である。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000021 | 青森県 | 平川市 | 棟札 | ムナフダ | 市指定有形文化財 | その他 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 40.568184 | 140.614947 | 1 | 枚 | 広船神社 | 2006/1/1 | 慶長15年(1610)広船館主別浦(桜庭)太郎左エ門尉信正が広船観音堂一宇を建立した際の棟札。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000022 | 青森県 | 平川市 | 鰐口 | ワニグチ | 市指定有形文化財 | その他 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 40.568184 | 140.614947 | 1 | 個 | 広船神社 | 2006/1/1 | 享保7年(1722)に小嶋海衆が奉納した鰐口で、当時の広船の宗教を知る上で貴重な資料である。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000023 | 青森県 | 平川市 | 五大力菩薩 | ゴダイリキボサツ | 市指定有形文化財 | その他 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 40.568184 | 140.614947 | 5 | 体 | 広船神社 | 2006/1/1 | 国を守護する大力ある5体の仏像で市内では最古の物と考えられており、宗教史上貴重な仏像である。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000024 | 青森県 | 平川市 | 薬師如来立像 | ヤクシニョライリュウゾウ | 市指定有形文化財 | その他 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 40.568184 | 140.614947 | 1 | 体 | 広船神社 | 2006/1/1 | 明治以前の神仏混淆を物語る好資料であり、仏像そのものの歴史的価値も高い。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000025 | 青森県 | 平川市 | 優婆尊座像 | ウバソンザゾウ | 市指定有形文化財 | その他 | 大坊放光寺 | 青森県平川市大坊福田21 | 40.566912 | 140.543713 | 1 | 体 | 大坊放光寺 | 2006/1/1 | 仏師よりも庶民の製作によるものと見られ、通称「閻魔の婆」と言われるもので、中世の庶民信仰がうかがわれる貴重な仏像である。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000026 | 青森県 | 平川市 | 観音絵馬 | カンノンエマ | 市指定有形文化財 | その他 | 沖館神明宮 | 青森県平川市沖館宮崎266-3 | 40.568412 | 140.585008 | 1 | 枚 | 沖館神明宮 | 2006/1/1 | 津軽(大浦)為信が大光寺城攻略の戦勝祈願成就の際に奉納した絵馬であるといわれている。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000027 | 青森県 | 平川市 | 絵馬 | エマ | 市指定有形文化財 | その他 | 沖館神明宮 | 青森県平川市沖館宮崎266-3 | 40.568412 | 140.585008 | 4 | 枚 | 沖館神明宮 | 2006/1/1 | 市内最古の絵馬と思われる。寛文2年(1662)1枚、10年(1670)2枚、12年(1672)1枚の4枚で、歴史的価値が高い。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000028 | 青森県 | 平川市 | 鏡 | カガミ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 枚 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 唐竹の阿蘇神社付近から出土した青銅鏡で、当市に現存する最古の鏡と思われる。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000029 | 青森県 | 平川市 | 新屋家伝来の武具 | アラヤケデンライノブグ | 市指定有形文化財 | その他 | 新屋八幡宮 | 青森県平川市新屋栄館171 | 40.593497 | 140.601574 | 1 | 括 | 新屋八幡宮 | 2006/1/1 | 旧新屋城主の新屋家が新屋八幡宮に奉納したものである。具足1領、陣羽織、陣笠など。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000030 | 青森県 | 平川市 | 刀 | カタナ | 市指定有形文化財 | 美術工芸品 | 新屋八幡宮 | 青森県平川市新屋栄館171 | 40.593497 | 140.601574 | 1 | 口 | 新屋八幡宮 | 2006/1/1 | 金象嵌銘「定俊」は備前の刀工で、鎌倉時代の刀工として有名である。旧新屋城主の新屋家より奉納された由緒ある刀である。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000031 | 青森県 | 平川市 | 刀 | カタナ | 市指定有形文化財 | 美術工芸品 | 新屋八幡宮 | 青森県平川市新屋栄館171 | 40.593497 | 140.601574 | 1 | 口 | 新屋八幡宮 | 2006/1/1 | 無銘、伝光包作。明治30年頃日露戦争の戦勝祈願の為奉納された刀である。鎌倉時代末期の代表的な刀工作といわれる。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000032 | 青森県 | 平川市 | 羽織 | ハオリ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市小杉 | 1 | 枚 | 個人 | 2006/1/1 | 旧尾崎組時代の庄屋が着用した公用羽織であり、歴史的に貴重である。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000033 | 青森県 | 平川市 | 観音立像 | カンノンリュウゾウ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市尾崎 | 1 | 体 | 個人 | 2006/1/1 | この仏像は角田家の先祖が上方から笈で背負って来たものだという。この他に古仏1体、権大僧都の位牌が伝わる。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000034 | 青森県 | 平川市 | 三重塔址 | サンジュウノトウアト | 市指定有形文化財 | その他 | 三重塔址 | 青森県平川市本町北柳田41-3 | 40.584367 | 140.559817 | JA津軽みらい | 2006/1/1 | 津軽為信が富姫の追善供養のために本町・塔の前に三重の塔を建立したがその後焼失したとされ、礎石のみが残る。 | |||||||||||||||||||
| 22101 | 502000035 | 青森県 | 平川市 | 卯辰両歳餓死者供養塔〔ヘビ塚〕 | ウタツリョウサイガシシャクヨウトウ(ヘビヅカ) | 市指定有形文化財 | その他 | 卯辰両歳餓死者供養塔〔ヘビ塚〕 | 青森県平川市岩館 | 1 | 基 | 岩館町会 | 2006/1/1 | 天明3年・4年と続いた大凶作で餓死した人々を供養するために50年後の天保3年(1832)に岩館村中で建立したものである。 | |||||||||||||||||||
| 22101 | 502000036 | 青森県 | 平川市 | 石敢当 | セッカントウ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市広船山下 | 1 | 基 | 広船町会 | 2006/1/1 | 石敢当は中国の故事に因んだ石碑で、九州地方に多く見られる。外川庸孝が幕末に建立したと思われ、村内に他に1基見られる。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000037 | 青森県 | 平川市 | 追分石 | オイワケイシ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市小国 | 1 | 基 | 唐竹町会 | 2006/1/1 | 明治19年に建立された追分石で、小国道と山道の分岐点に建つ。平賀地域と東部地区を結ぶ幹線道路として歴史的価値が高い。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000038 | 青森県 | 平川市 | 石棺 | セッカン | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 6 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 昭和54年に唐竹・堀合(1)遺跡より13基出土。全国的にも貴重なもので一部を文化センター(収蔵庫、屋外展示)に復元展示している。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000039 | 青森県 | 平川市 | 甕棺 | カメカン | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 6 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 石棺埋葬から二次埋葬の際に改葬される時に用いられる甕で、堀合(1)・小金森遺跡から出土した全国的に貴重なものである。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000040 | 青森県 | 平川市 | 土偶 | ドグウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | ほぼ完全な土偶で全国的に著名な遺物である。唐竹・堀合遺跡出土。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000041 | 青森県 | 平川市 | 石敢当 | セッカントウ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市広船福田 | 1 | 基 | 広船町会 | 2006/1/1 | 石敢当は中国の故事に因んだ石碑で、九州地方に多く見られる。外川庸孝が幕末に建立したと思われ、村内に他に1基見られる。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000042 | 青森県 | 平川市 | 八股鹿子踊諷本 | ヤマタシシオドリソエボン | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 巻 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 広船の獅子踊の由来がよく判る巻物で非常に貴重なものである。津軽の各獅子踊に大きな影響を及ぼしている。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000043 | 青森県 | 平川市 | 沖館獅子踊 | オキダテシシオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市沖館 | 沖館獅子踊保存会 | 2006/1/1 | 熊獅子踊の古い伝統を継承する踊りで、随所に古式な仕草を残している。熊野修験系統の獅子踊として貴重である。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000044 | 青森県 | 平川市 | 町居獅子踊 | マチイシシオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市町居 | 町居獅子踊保存会 | 2006/1/1 | 熊獅子踊の重厚さに鹿獅子系の所作をミックスした独特な踊りを継承している。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000045 | 青森県 | 平川市 | 百万遍の鉦 | ヒャクマンベンノカネ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市原田 | 1 | 口 | 原田町会 | 2006/1/1 | 天和3年(1683)の在銘で、春秋の年2回行う「百万遍」の際に使用されたもの。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000046 | 青森県 | 平川市 | 獅子頭 | シシガシラ | 市指定有形文化財 | その他 | 大坊熊野神社 | 青森県平川市大坊前田67 | 40.572686 | 140.544571 | 1 | 対 | 大坊熊野神社 | 2006/1/1 | 熊野神社は鎌倉時代以来の由緒を持つ古社で、熊野系の信仰の中心地として栄えた。往時の隆盛を今に伝える熊野系獅子頭であり貴重なもの。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000047 | 青森県 | 平川市 | 棟札 | ムナフダ | 市指定有形文化財 | その他 | 本町八坂神社 | 青森県平川市本町富岡67 | 40.586673 | 140.555204 | 1 | 枚 | 本町八坂神社 | 2006/1/1 | 慶長11年(1606)に大光寺城主だった津軽左馬頭建広が本町観音堂を造立した際の棟札で、当市最古の棟札のひとつとして、また大光寺城主の在銘品として貴重。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000048 | 青森県 | 平川市 | ボーノ神送り | ボーノカミオクリ | 市指定無形民俗文化財 | その他 | 青森県平川市平田森 | 平田森ボーノ神送り保存会 | 2006/1/1 | 天然痘(疱瘡)を「疱の神」の仕業と考え、男女一対の藁人形を村はずれに立て村内の悪疫を追放、村外からの悪疫を防ぐ民俗行事。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000049 | 青森県 | 平川市 | 青い目の人形「ドロシー・ベル・アルバニー」 | アオイメノニンギョウドロシーベルアルバニー | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市立竹館小学校 | 青森県平川市沖館永田34-3 | 40.5685 | 140.591077 | (0172)44-3013 | 1 | 体 | 平川市立竹館小学校 | 2006/1/1 | 昭和2年に日本とアメリカの親善のために贈られた「青い目の人形」は、現在国内に約 300体しか残されていない平和を象徴する貴重な遺産である。 | ||||||||||||||||
| 22101 | 502000050 | 青森県 | 平川市 | 木村日記(乾・坤) | キムラニッキ(イヌイ・ヒツジサル) | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市小杉 | 上下2 | 巻 | 個人 | 2006/1/1 | 乾と坤の上下2巻からなり、天保3年(1832)から明治32年までの67年間にわたる生活記録である。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000051 | 青森県 | 平川市 | 梵鐘 | ボンショウ | 市指定有形文化財 | その他 | 広船神社 | 青森県平川市広船広沢89 | 1 | 口 | 広船神社 | 2006/1/1 | 嘉永2年(1849)仲春、広船外川家6代目の小右エ門庸祥が、農運長久子孫繁栄を祈願して金森山勧請寺に奉納したものである。 | |||||||||||||||||||
| 22101 | 502000052 | 青森県 | 平川市 | 一光三尊来迎阿弥陀如来 | イッコウサンゾンライゴウアミダニョライ | 市指定有形文化財 | その他 | 蓮乗院 | 青森県平川市猿賀石林172 | 40.615213 | 140.563223 | 1 | 体 | 蓮乗院 | 2006/1/1 | 市内最古の仏像のひとつであり鎌倉時代の作と云われる。正徳年間(1711〜1715)に蓮乗院が火災にあい、中央本尊のみ難を逃れる。文政2年(1819)2月に火災を逃れた本尊を基礎として、光背、台座、観世音菩薩、勢至菩薩を脇師とし、一光三尊来迎の阿弥陀如来として復元される。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000053 | 青森県 | 平川市 | 金剛力士(二王尊) | コンゴウリキシ(ニオウソン) | 市指定有形文化財 | その他 | 神宮寺 | 青森県平川市猿賀石林166-2 | 40.615506 | 140.562494 | 2 | 体 | 神宮寺 | 2006/1/1 | 本藩旧記によれば、文政6年(1823)6月14日の作と云われる。作者は弘前城下に居住する大工棟梁秋田屋安五郎と伝えられる。明治新政府の神仏分離令により、猿賀深砂宮(現猿賀神社)の正面山門であったものを、東光院(現神宮寺)で引き取ったものである。市内唯一の金剛力士像。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000054 | 青森県 | 平川市 | 比叡山回峰行発願文 | ヒエイザンカイホウギョウハツガンブン | 市指定有形文化財 | その他 | 善応寺 | 青森県平川市高木原富66-1 | 40.616076 | 140.583431 | 1 | 幅 | 善応寺 | 2006/1/1 | この発願文は、比叡山2、000日回峯を達成した尾上村出身の正井観順48歳のときの揮毫で当時観順は大阿闍梨の戒位を賜っていた。正井観順が3、000日回峯行を志したのは、明治27年5月からで、天正復活(1573〜)以来35人目の実行者であり、この記録は2、550日で当時の最高位を示すものである。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000055 | 青森県 | 平川市 | 蕨手刀 | ワラビテトウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 口 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 昭和48年3月に原地区の畑(原遺跡)から出土した。蕨手刀はそのほとんどが東北地方の古墳から出ることから、畑地周辺には古墳が存在すると推測され、昭和63年と平成2年の発掘調査で15基の馬蹄形周溝古墳の存在が明らかになった。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000056 | 青森県 | 平川市 | 弥生前期合甕棺第1号 | ヤヨイゼンキアワセカメカンダイイチゴウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 昭和44年4月熊野堂地区農道整備工事で出土し、弥生前期のものと推定されている。発見された地区名にちなみ、この地を五輪野遺跡と称する。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000057 | 青森県 | 平川市 | 弥生前期合甕棺第2号 | ヤヨイゼンキアワセカメカンダイニゴウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 昭和57年11月農村整備モデル事業の緊急発掘で第1号甕棺と同じ時期の甕棺が出土する。本甕棺は、第1号甕棺から約20m離れた地点から発見された。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000058 | 青森県 | 平川市 | 弥生中期単甕棺 | ヤヨイチュウキタンカメカン | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 昭和57年8月の試掘調査により出土する。第1号・第2号甕棺より小型であるが、田舎館式土器と同様の鋸歯文や縄文が一面に施され、弥生中期のものと推定されている。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000059 | 青森県 | 平川市 | 丑盛(土盛塚) | ウシモリ(ドモリヅカ) | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市猿賀明堂238-2 | 個人 | 2006/1/1 | 盛の頂に、丑が臥した形に似ている巨石(丑石)が据え置かれていたために丑盛と称する。丑石は現在猿賀神社境内の小公園に移されている。この盛の中央基底部から弥生中期の単甕棺が出土したことから、弥生時代の墳墓である事がわかる。また近くには奈良・平安時代の古墳と推測されるものがある。この周辺に新山本明寺があった事は、猿賀山神宮寺文書により明らかである。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000060 | 青森県 | 平川市 | 疫ノ神送り | ボウノカミオクリ | 市指定無形民俗文化財 | その他 | 青森県平川市八幡崎 | 八幡崎郷土芸能保存会 | 2006/1/1 | 疫ノ神送りは、悪疫退散・五穀豊穣を願う行事として八幡崎集落に安永2年から伝承された。現在、津軽地方では数少なくなっている。八幡崎地区住民により継承されている当行事は、行列の先頭部の疫ノ神(男女一対の人形)を始めとして荒馬踊り・太刀振踊り・簓踊りなどから構成されている。荒馬踊りは、400〜500年頃前から踊ってきたと云われ、コギンを着用し、木彫りの馬の頭を両手にもって笛・太鼓・鉦・簓に合わせ軽快に踊る。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000061 | 青森県 | 平川市 | 阿弥陀如来絵像 | アミダニョライエズ | 市指定有形文化財 | その他 | 善応寺 | 青森県平川市高木原富66-1 | 40.616076 | 140.583431 | 1 | 幅 | 善応寺 | 2006/1/1 | 延文2年の作。作者は不明。顔料として緑青や珊瑚などを使い、後光は金泥をもって描かれており、当時は相当高価なものであったことがうかがえる。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000062 | 青森県 | 平川市 | 十一面観音菩薩像 | ジュウイチメンカンノンボサツゾウ | 市指定有形文化財 | その他 | 明光寺 | 青森県平川市南田中村内3 | 40.607422 | 140.593935 | 1 | 体 | 明光寺 | 2006/1/1 | 総丈63cmの荒彫りの仏像で約420年前のものと云われる。旧松倉観音堂(現松倉神社・五所川原市)の別富當をしていた吉祥房が、天正6年(1578)に同堂から移転の際に持仏として持参し、津軽半島のある家に安置した。その後昭和18年に如意輪寺(五所川原市)に移転され、また昭和25〜26年頃に現在の南田中明光寺に安置されることになった。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000063 | 青森県 | 平川市 | 古山伏獅子頭 | コヤマブシシシガシラ | 市指定有形文化財 | その他 | 七柱神社 | 青森県平川市栄松26 | 40.616748 | 140.582052 | 1 | 対 | 七柱神社 | 2006/1/1 | 正保2年(1645)の獅子権現社(現七柱神社)社殿造営時に現存した獅子頭であり、現在は七柱神社のご神体となっており、神宮寺や七柱神社の由緒由来を知る唯一の資料となっている。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000064 | 青森県 | 平川市 | 鉦ノ緒 | カネノオ | 市指定有形文化財 | その他 | 八幡宮 | 青森県平川市八幡崎宮本143-2 | 40.617782 | 140.535221 | 5 | 本 | 八幡宮 | 2006/1/1 | 安永6年(1777)、弘化4年(1847)、安政4年(1857)の緒が各1本、年代不明が2本の計5本である。これらは、鰐口につけられていたものであり、現在この種の鉦ノ緒は津軽地方では見かけられない貴重なものである。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000065 | 青森県 | 平川市 | 梵鐘 | ボンショウ | 市指定有形文化財 | その他 | 浄土寺 | 青森県平川市尾上栄松36 | 40.61619 | 140.582948 | 1 | 口 | 浄土寺 | 2006/1/1 | 旧尾上庵(現浄土寺)に村中で寄進したものであり、製作は享保11年である。慶長年間(1596〜1615)以降の梵鐘は、一般に軍需品として徴用されたが、当梵鐘は警鐘として使用されていたために、その難を逃れた。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000066 | 青森県 | 平川市 | 真言宗山伏笈及び不動明王 | シンゴンシュウヤマブシオイオヨビフウドウミョウオウ | 市指定有形文化財 | その他 | 金剛寺 | 青森県平川市八幡崎宮本141 | 40.614981 | 140.541728 | 1 | 組 | 金剛寺 | 2006/1/1 | 笈は山伏が背負って諸国を行脚したもので、銅製の飾りが施されており、中に不動明王と二童子が納められている。市内最古の仏具のひとつであり、美術的価値も高く珍重されている。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000067 | 青森県 | 平川市 | 鶴亀石 | ツルカメイシ | 市指定有形文化財 | その他 | 金剛寺 | 青森県平川市八幡崎宮本141 | 40.614981 | 140.541728 | 1 | 基 | 金剛寺 | 2006/1/1 | この石には、沈線刻文で日天・月天・鶴・亀が彫られており、津軽地方では2・3例しかないといわれるもので、現在金剛寺本堂前庭の向かって左側に安置されている。同寺では、無縁仏の供養塔としている。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000068 | 青森県 | 平川市 | 卯辰両年供養塔 | ウタツリョウドシクヨウトウ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市長田元村108 | 1 | 基 | 長田町会 | 2006/1/1 | 長田共同墓地にあるこの供養塔は、大飢饉の餓死者の霊を供養するために天保3壬辰年(1832)4月15日に建立された。卯辰両年供養塔と刻字されていることから天明3年癸卯年(1783)〜同4甲辰年(1784)に大飢饉があり、多くの犠牲者が出たことが史実として残っている。建立はちょうど50年忌に当たっている。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000069 | 青森県 | 平川市 | 惣染堂塔 | ソウゼンドウトウ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市長田沼田141 | 1 | 基 | 長田町会 | 2006/1/1 | この塔は、馬の供養と馬の厄除けの神様として信仰されていたものであり、明和5年(1768)に長田村の有志によって馬捨場であったこの地に建立された。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000070 | 青森県 | 平川市 | 貞傳上人の万体仏 | テイデンショウニンノマンタイブツ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市日沼 | 1 | 体 | 個人 | 2006/1/1 | 元禄時代に生まれた貞傳上人(今別町 始覚山本覚寺5世住職)享保年間(1716〜1736)に金銅塔婆を作り宗徒確保に努めるとともに、壱万躰の阿弥陀仏(俗に万体仏という)を鋳造し、師匠寺の誓願寺(弘前市)再建築のために奉納し、師の恩に報いたものであると云われている。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000071 | 青森県 | 平川市 | 貞傳上人の千体仏 | テイデンショウニンノセンタイブツ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市高木 | 1 | 体 | 個人 | 2006/1/1 | 万体仏同様の由来をもつ。万体仏に比し、蓮台が高くできていて、本体そのものの彫りも深く、細部に至るまで原形に近い形で残存している。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000072 | 青森県 | 平川市 | 御領分中御山絵図 | ゴリョウブンチュウオンヤマエズ | 市指定有形文化財 | その他 | 蓮乗院 | 青森県平川市猿賀石林172 | 40.615213 | 140.563223 | 1 | 冊 | 蓮乗院 | 2006/1/1 | 津軽一帯の山・川とその支流を詳細に絵図にした書跡である。津軽藩主信政公時代の開墾あるいは植林の参考になったものと考えられている。津軽藩の歴史を知る上で貴重な山絵図帳のひとつとされている。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000073 | 青森県 | 平川市 | 津軽藩造林元帳及び留帳 | ツガルハンゾウリンモトチョウオヨビトドメチョウ | 市指定有形文化財 | その他 | 蓮乗院 | 青森県平川市猿賀石林172 | 40.615213 | 140.563223 | 9 | 冊 | 蓮乗院 | 2006/1/1 | 享和2年(1802)の津軽藩内の諸樹木植付け並びに見継山の留帳であり、当時の尾上町の領内を記す貴重な古文書である。 | |||||||||||||||||
| 22101 | 502000074 | 青森県 | 平川市 | 猿賀神社棟札 | サルカジンジャムナフダ | 市指定有形文化財 | その他 | 猿賀神社 | 青森県平川市猿賀石林175 | 40.61663 | 140.562944 | (0172)57-2016 | 5 | 枚 | 猿賀神社 | 2006/1/1 | 猿賀山大権現宮、山王大権現宮、深砂大権現精舎など建築に関わるもの、大般若経真読結願などの棟札5枚である。 | https://ss701927.stars.ne.jp/ | |||||||||||||||
| 22101 | 502000075 | 青森県 | 平川市 | 左向不動尊・矜羯羅童子・制叱迦童子 | ヒダリムキフドウソン・コンガラドウジ・セイタカドウジ | 市指定有形文化財 | その他 | 古懸山不動院国上寺 | 青森県平川市碇ヶ関古懸門前1-1 | 40.488274 | 140.628819 | (0172)45-2446 | 1 | 組 | 古懸山不動院国上寺 | 2006/1/1 | 左向不動尊は日本の仏像のでもめずらしいと云われ、昔から崇高されてきたものであるが、江戸時代より国上寺の宝物のひとつとして記録されている。(1)左向不動尊 (2)矜羯羅童子 (3)制叱迦童子 | ||||||||||||||||
| 22101 | 502000076 | 青森県 | 平川市 | 八代藩主信明公の文書 | ハチダイハンシュノブアキラコウノモンジョ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市碇ヶ関 | 1 | 通 | 個人 | 2006/1/1 | 天明4(1784)年9月、津軽地方大凶作の時、生存者の激励の沙汰書。御近習小姓 戸沢元吉、藤田小三郎の2人を各地域に遣わして沙汰した。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000077 | 青森県 | 平川市 | 巡遣使下向の御触書 | ジュンケンシゲコウノオフレガキ | 市指定有形文化財 | その他 | 青森県平川市碇ヶ関 | 1 | 通 | 個人 | 2006/1/1 | 天保9(1838)年、江戸幕府の巡遣使が下向の際に、碇ヶ関村町役の仕事や津軽藩の対応などが書かれている。 | ||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000078 | 青森県 | 平川市 | 通行手形 | ツウコウテガタ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 通 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 明暦2(1656)年の通行手形。津軽藩4代藩主 信政公の刻印が押されたものは、現存は少なく貴重なものである。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000079 | 青森県 | 平川市 | 久吉駒踊 | ヒサヨシコマオドリ | 市指定無形民俗文化財 | 芸能 | 青森県平川市碇ヶ関久吉 | 久吉駒踊保存会 | 2006/1/1 | 駒踊、ささら踊、太刀振りなどが合奏曲に合わせ踊られ、またそれぞれの踊りは他の地域にみられないような動作となっている。久吉地区の全戸が参加して行われている芸能行事である。 | ||||||||||||||||||||||
| 22101 | 502000080 | 青森県 | 平川市 | 舊護摩堂八大龍天井画 | キュウゴマドウハチダイリュウテンジョウガ | 市指定有形文化財 | その他 | 古懸山不動院国上寺 | 青森県平川市碇ヶ関古懸門前1-1 | 40.488274 | 140.628819 | (0172)45-2446 | 1 | 点 | 古懸山不動院国上寺 | 2006/1/1 | 古懸山国上寺舊護摩堂は安政5(1858)年12月28日落慶(棟札有)。しかし明治26年2月23日火災のため、舊護摩堂以外は焼失してしまった。この護摩堂の天井には八つの頭の龍が雄渾に描かれている。 | ||||||||||||||||
| 22101 | 502000081 | 青森県 | 平川市 | 四戸橋遺跡出土品岩偶 | シトバシイセキシュツドヒンガングウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 縄文時代中期(5、000〜4、500年前)の岩偶は東北や北海道でも出土例がないのに等しい、岩偶は縦横約5cmで左端と下が欠けているが、本来は二等辺三角形とみられる。上部と右端には紐を通すための穴があり、比較的壊れやすい溶結凝灰岩でつくられている。顔は逆三角形、顔の下や背中にV字文様が刻まれ、土偶作りのモデルとして使われたのでないかと考えられている。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000082 | 青森県 | 平川市 | 四戸橋遺跡出土品土偶 | シトバシイセキシュツドヒンドグウ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 1 | 点 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | これまで土偶は包含層や特定の廃棄場所から発見されている。しかし、四戸橋遺跡の土偶は、家の中から出土し完全な姿をしている。高さ10cm、幅8.5cm、厚さ1.5cm、重さ約100gのもので土偶の下部に穿孔があり、棒に立てられるようなつくりとなっており、土偶の用途を考える上で貴重な資料となる。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000083 | 青森県 | 平川市 | 古文書 | コモンジョ | 市指定有形文化財 | その他 | 平川市教育委員会 | 青森県平川市柏木町藤山25-6 | (0172)44-1221 | 5 | 冊 | 平川市教育委員会 | 2006/1/1 | 碇ヶ関道待番所の番人としての勤務内容や出来事を記録している。初期の津軽藩および南部藩と秋田藩の国境警備の状況が書かれており、特に秋田藩との交渉について知ることができる資料となっている。 | ||||||||||||||||||
| 22101 | 502000084 | 青森県 | 平川市 | 不浪寄八幡御神像 | ナミヨセズハチマンゴシンゾウ | 市指定有形文化財 | その他 | 八幡宮社殿本殿 | 青森県平川市碇ヶ関古懸門前3-2 | 40.488287 | 140.628594 | 2 | 体 | 八幡宮 | 2006/1/1 | 社伝によると、人皇30敏達天皇の時代に、津軽郡が大津波(白髭水)のため海のようになった時、入水を祓い退け、霊験あらたかなるによって「不浪寄八宮」と称されるようになった。坂上田村麻呂が蝦夷征伐のため東北にやってきたとき、八幡宮大神の霊験が顕著なるをみて、大神の尊像を田村麻呂が自ら彫って供えたと言い伝えられている。是以来、不浪寄八幡宮の大神は2体となった。のち、天正年間(1573〜1592)に津軽土佐守藤原朝臣が御堂を建立し、以来たびたび再建修造された。神仏分離令により一時弘前八幡宮で合祀され、明治6年古懸村に複社され今日にいたる。 |